第14号 2009年4月30日

目次

「風」吉井 明人
創作
「草と水のあいだ」川名 敏春
「皮」和田ゆりえ
「アレの話」
東 賢次郎
「冬」瀧澤 清
「一年の後」 和田 作郎
「営巣」辻 章
評論(連続掲載) 
「少年殺人者考
(十一)」井口 時男
断想・断章 
「それは転向か」牧 定生
「雪の下で13」三木 卓 
文芸展望塔 
「ハルキの卵」かきびとしらず
創作(連続掲載) 
「郷愁祭 
無限物語(十四)」辻 章

A5判、本文124頁 発行:ふぉとん社
編集後記
◎今号で瀧澤清の連作「強羅」が完結した。三年近くにわたる営為の完成を、筆者と共に喜びたい。
「強羅」を貫く明瞭・鮮烈なモチーフは、一人の少年の「性への目覚め」である。外界の揺動と内面の眩暈の、折り重なる襲来。しかしこの作品を、ただそのモチーフの中にのみ、とどめさせないのは、襲来のただ中に突如として起こる悲劇=母の死、である。人生のとば口に立ち現れる二重の悲劇。それは「性の目覚め」を一気に貫き超えて、「強羅」に「この世の生」そのものの姿を、まるで鏡に映るように、映し出し、少年の運命を予見させるのである。「性の目覚め」の、血潮の臭いを感じさせる筆致が、人の生の酷薄と哀しみを際立たせる。
◎人はその生のとば口で、ある傷を負って、生の中に出ていく。そしてその途次を、数多くの傷を負いながら、歩いて行く。川名敏春「草と水のあいだ」と、和田ゆりえ「皮」は、前者が、まさに生の中に踊り出ようとする少年の鼓動を描き出し、後者が、一枚一枚むかれて行く「人生の表皮」を描いている。それは、ちょうど反対の方角の運動のようだが、そうであること自体が、「生の全体」の微妙と深さとを眺望させるのである。
◎今号は、巻頭に詩を掲載した。
 文学の精神の中心には、必ず「詩」が存在する。「詩の精神」こそは、文学をつき動かす力の中心にあると、私は信じている。以前にも詩の特集を試みたが、これからも、巻頭詩、あるいは、特集、という形を積極的に推し進めて行きたい。
 詩、そして、歌、俳句等の投稿を、小説の投稿と並んで、大いに歓迎したい。
◎辞世の句を考えているか、と問われて、松尾芭蕉は、わたしの句の一句一句、その一つとして辞世でないものはない、というようなことを答えたそうだが、運動としての文芸雑誌の発行に、私は相通ずる一脈を感ずることがある。一号一号、これこそが最終号という精神が、実は最も強く運動を支える精神なのかもしれない。
             (辻章)