第15号 2009年7月31日

目次
季刊・綜合文芸誌
「ふぉとん」の終刊について 
           編集部

「空」辻 章
短歌
「あまつさえ」本多 順子
創作
「亀と胡桃」麻田 圭子
「吹雪」和田 作郎
評論(連続掲載) 
「少年殺人者考
(十二)」井口 時男
断想・断章 
「トウモロコシと豚」柏 文彦
断想・断章 
「雪の下で14」三木 卓 
文芸展望塔 
「哲学について」かきびとしらず
創作(連続掲載) 
「郷愁祭 
無限物語(十五)」辻 章

A5判、本文72頁 発行:ふぉとん社
編集後記
◎麻田圭子「亀と胡桃」は、読後に長い余韻──ある色彩を帯びた影を引く。「孤独の色」とでも言えようか。語り手「晶子」の友人「多喜子」が子供のころに過って殺した「死んでしまった亀」、「多喜子」と共に、見知らぬ男性から不意にもらった「クルミ細工」──その二つは、どちらも、人生の長い交りの友人を、暗喩、象徴し、また、二人が、ついに、孤独同士ではないかという想いを、象徴する。
「友人」と「わたし」が観ているこの世界の光景が、本当には重なっているのかどうか、という呟きが行間に聞こえる。
 人は誰もが一人一人、ただならぬ「孤り」を歩いている。その当たり前の事実が、改めてのことのように切々と、影を引く。
◎巻頭に掲げたように、綜合文芸誌としての「ふぉとん」は、次号をもって終刊する。
 しかし、文芸の運動そのものは、あらゆる商業主義(的ジャーナリズム)と無関係に、現在も(意識的、無意識的に)、至る所で活動しつつあり、今後も活動をつづけて行くであろう。
 その活動の総体を「ふぉとん的」(無限定、無定型の)文学運動そのものとして、私はこれからも認識しつづけて行くつもりである。
◎先日、知人の文学上の話しをしていて、たまたま三島由紀夫に話しが及んだ。「豊饒の海」の中心主題「唯識」についてである。三島自身、「唯識」について、或いは「阿頼耶識」について何度か書き、自殺前、武田泰淳との対談で、切迫した口調の言及もしている。
「唯識」は、恐ろしい思想=思索法だ。
 それは、ひょっとすると文学的思考、営為の「最大限網領」として、あるかもしれない。
 その時、わたしと知人とは、互いに、それぞれの切迫を以って、一致したのだった。
 そしてわたしは、もしかすると、自分は結局、ただ「唯識」ということのみをめぐって、生き、書いて来たのかもしれない、という思いに、その知人との会話以後も、何度も囚われた。
「唯識」の恐ろしさとは何か。細かい議論を措いて、一言で言うならば、それは、たとえば、あらゆる妄想は真理である──或いは、あらゆる妄想以外に、真理はない、とでも言えようか。
 インドの詩人、タゴールと、物理学者、アインシュタインは、夜空に浮かぶ月をめぐって、「存在論」を交わしている。「わたし」が見ている時のみに「月」はあり、「わたし」が見ていない時、「月」は存在しないのかどうか、という議論である。
 見ていない時に「月」が存在しない(それは量子力学の、一つの主張である)とするならば、すべては、宇宙=神の秩序のすべては崩壊してしまうではないか──とアインシュタインは悲痛に言い、タゴールはただ「月」は、あると思えばあり、ないと思えばないのだ、と返すのだが、それはまた、「真理」と「妄想」をめぐっての、永遠の問いの応答であっただろう。問いは、ついには必ず人を、「思議」の外に、「不可思議」の領域に踏み出させずにはおかない。「不可思議」という、「神秘」の領域に。
「豊饒の海」を書く、三島の切迫し、切羽詰まったモチーフは、結局、彼が「生まれかわり」という神秘の中に、何とか、一つの答えを発見したかった、ということなのかもしれない。
 彼もまた、「不可思議」(「思議」の全く及ばない)の領域に踏み込む以外には、なかったのだ。文学的思考の「最大限綱領」として。
◎ドストエフスキーもまた、彼の「罪と罰」の中で、「ラスコールニコフ」という唯識の領域に、踏み込もうとしたのかもしれない。
「ラスコールニコフ」という唯識。
「ラスコールニコフ」は、そして「罪と罰」そのものも、「悪霊」と同様、当時の社会的事件に素材を取った(モデルにした)とも言われている。「社会」の中の「ラスコールニコフ」は、今日の名づけ法を使えば、たとえば一人の神経症の患者に分類される存在だったかもしれない。一人の「精神的な障害を持つ者」であったかもしれない。そして、ドストエフスキーは、彼のモデルの犯罪を、多分、烈しく憎んだであろう。その憎しみの強さを、われわれは彼の「罪と罰」の持つ、文学的真摯(シンセリティ)によって知り、感ずることができる。
 しかし「罪と罰」が、われわれの心を捕らえるのは、その憎しみの深さ、強さでは、むろん、ない。憎悪という否定への、否定=自己否定(愛憎そのものへの否定)の烈しさが、われわれを捕らえるのだ。憎しみは(そして愛情もまた)、ドストエフスキーを「ラスコールニコフ」の唯識(妄想)の中に、立ち入らせることは、決して、ない。自己否定の窮極が、彼を連れて行ったのは、「大地」とか「愛」とかいう名前の(或いは、どうにも名づけ得ない)、神秘だった。ドストエフスキーは、彼の真理(妄想)の中で、その神秘を、それ以上ないほどのたしかさで、観たことだったろう。むろん、ドストエフスキーは、彼のモデルの見たことのないものを、観たのだ。そして、また、彼の神秘体験は、ドストエフスキーの上にも、ただ一瞬のことだったであろう。しかし、ドストエフスキーという一人の人間が「観た」という事実を、わたしは「罪と罰」によって、識る、感ずる、ことができるのである。
◎「罪と罰」の持つ、文学の力は、ドストエフスキーという作家の、「ラスコールニコフ」という「モデル」への、徹底した、別の言葉で言えば、激しく偏狭なまでの感情という体験=文学的真率からのみ、生み出されることが、できたのであろう。それはまたドストエフスキーの「ロシア」というものへの窮極の、信頼、信義=交換の感情であったろう。
◎そしてまた、むろん一般に文学的仮構(創作)に於いて、書き手と対象間の信義、信頼の重要は言うまでもない。そうして、その重要は常に書き手の、仮構を築く筆の中にこそ、鋭く意識されていなければならないだろう。巨大な仮構も結局は、その中から生まれて来るものなのにちがいない。
◎作品のリアリティ(シンセリティーの深さ)は、おそらく、ただ、時間によってだけ、決定されるものだろう。
「豊饒の海」の唯識は(その唯識の切実は)、どういう時間によって、その姿の具体を、われわれに示すだろうか。
◎文学の観る光景は、結局、ただ唯識の中にのみ、われわれの、「妄想」の中にだけ、あるのかもしれない。
◎「ふぉとん」創刊を考えた理由の、大きな一つは、わたしが所謂「職業」という分類法──「職業作家」「職業編集者」という「分業」が、作家と編集者と、その両方を同時に衰弱させているのではないか、という疑いを持ったことにもあった。そこでは、「作家」も「編集者」も、要するにただ「生業」と化し、「文学」も、その「生業」の一職種に過ぎないものになって行くしかないのではなかろうか。「作家」が「編集者」を、マネージャー業の一種と心得、「編集者」が「作家」を、タレントの一種と心得る、というような。
 しかし、日本の近代文学史の中で、作家が同時に編集者であり、編集者=作家であった時間は、現在のような「分業制」の敷かれた時間よりも、実はずっと長かったのではなかろうか。森鴎外や与謝野鉄幹、晶子、小林秀雄、そして戦中から戦後への、花田清輝、中野重治、埴谷雄高等々、すべて、「編集をする作家」だったのである。あらかたが出版資本に系列化されたように見える現在の「文芸ジャーナリズム」は、実は、ある特殊な、またある奇矯な、現象なのでもあるのだ。
◎そして、その現実の中で、今、わたしは、単に「作家プラス編集者」が、その特殊、奇矯への答えとは、考えていない。「奇矯」に対する「真当な」答え。とりあえずのそれとして、わたしはただ、文学をやりつづけている者、としていたいと思っている。形はその中から、自ずと現れて来るだろう。
 問いは、常にわたしの前にあって、消えない。
             (辻章)